はじめに:今の常識は、未来の非常識になる
職場のコンプライアンス研修などで、「昔の常識は、今の非常識」という言葉を耳にしたことはないでしょうか。
たとえば働き方の変化です。かつては「遅くまで残業する人=頑張っている」「定時で帰る=やる気がない」といった精神論がまかり通っている時代がありました。しかし現在では、そうした価値観を他人に押し付けることはパワーハラスメントとみなされ、厳しい指導の対象になり得ます。
これは少し見方を変えれば、「今の常識も、いずれ未来の非常識になる」ということでもあります。
| テーマ | 昔(約20年前)の常識 | 今(現代)の常識 |
|---|---|---|
| 働き方 | 残業=美徳、定時退社=悪 | ワークライフバランス重視、ハラスメント厳禁 |
| お金・投資 | 投資=ギャンブル、額に汗して稼ぐのが正義 | 貯蓄から投資へ(国を挙げての資産形成を推奨) |

時代が変われば、ルールも価値観もガラリと変わります。そしてこれは、働き方に限った話ではありません。私たちが日々向き合っている「お金」の価値観についても、全く同じことが言えるのです。
今でこそ、新NISAのスタートなど政府の強力な後押しもあり、日本全体で投資に対して非常に前向きな風潮が生まれています。
(参考:金融庁 新NISA特設サイト)
「長期・分散・積立」が資産形成の基本であるという考え方は、もはや現代の新しい常識になりつつあると言って良いでしょう。
しかし、私がインデックス投資を始めた約20年前は、世間の空気は全く異なっていました。当時は「お金には色がある」と信じられており、汗水垂らして労働で得たお金こそが尊く、投資でお金を増やすのはギャンブルと同じで「怪しい、悪いこと」という受け取られ方をしていたのです。
この記事では、私の20年間のインデックス投資の経験や、最近起きた知人との「価値観の衝突」のエピソードを交えながら、お金の常識がどう変化してきたのかを振り返ります。
そして、人が新しい最適解(新しい常識)を前にしたとき、なぜそれを受け入れられず、過去の自分の選択を正当化しようとしてしまうのか。その裏に潜む「現状維持バイアス」や「認知的不協和」といった人間の心理についても深掘りしてみたいと思います。
まずは時計の針を20年前に戻し、私が友人たちから「投資なんてやめろ」と咎められた日のことからお話しさせてください。
20年前の日本:「投資=ギャンブル」と咎められた日のこと
今から約20年前。私がまだ投資を始めたばかりの頃、友人たちとの飲み会で「実は最近、投資をやっているんだ」とポロッと口にしたことがありました。
すると、場は少し不穏な空気に包まれました。友人たちは口々に私を咎め、投資をやめるように説得してきたのです。(ちなみに、彼らとは今でも年に1〜2回は会って飲む、大切な友人たちです。彼らは純粋な親切心から私を心配してくれていました。)
名著との出会いと、当時の日本の空気
なぜ彼らはそこまで投資を危険視したのでしょうか。それは、当時の日本が置かれていた「時代背景」が大きく影響しています。
私は当時、インデックス投資の名著『ウォール街のランダム・ウォーカー』を読み、長期・分散投資の力に強い確信を持っていました。だからこそ、前のめりになって友人たちに投資の素晴らしさを説明しようとしました。
しかし、約20年前(2000年代半ば)の日本社会は、今とは全く違う重苦しい空気に包まれていたのです。
| 項目 | 私の考え(本を読んで確信) | 当時の世間の空気・友人たちの考え |
|---|---|---|
| 経済状況 | 長期的には世界経済は成長する | バブル崩壊の後処理、銀行の不良債権問題で真っ暗 |
| 働き方 | 資本主義の仕組みを活用すべき | 企業の設備投資抑制、非正規雇用の増大で将来不安 |
| 投資へのイメージ | 資産を育てるための合理的な手段 | 「汗水垂らして働かない不労所得=ギャンブル・悪」 |
(参考:内閣府 経済財政白書(平成18年度)- 不良債権問題の終結と経済の正常化)
これほどまでに暗い経済ニュースが飛び交う中、「株で資産を増やす」という私の言葉は、友人たちの理解を得るにはあまりにも非現実的で、浮世離れして聞こえたのだと思います。結局、その場で私と友人たちとの溝が埋まることはありませんでした。

否定された背景にある「立場の違い」
今振り返って、友人たちの気持ちに寄り添って考えてみると、そこには「現状維持バイアス」や、自分たちの生き方を守ろうとする心理が働いていたのだと理解できます。
約20年前、私は博士後期課程を修了した直後で、社会人としての経験はまだ非常に浅い状態でした。一方で、友人の中には高校を卒業してすぐに働き始め、すでに10年近くの社会人経験を積んで、文字通り「汗水垂らして」厳しい社会を生き抜いてきた人たちもいました。
そんな彼らからすれば、社会に出たばかりの私が「将来は自分の代わりに、投資でお金に働いてもらうんだ」と得意げに語る姿は、自分たちがこれまで積み上げてきた労働の価値や生き方を、頭ごなしに否定されたような気持ちになったのかもしれません。

リーマンショックと、沈黙の積み立て
さらに不運なことに、その飲み会から数年後、あの「リーマンショック(2008年)」が世界を襲いました。株価は暴落し、世間ではますます「やっぱり投資なんて、ギャンブルと同じで手を出してはいけない悪いものだ」という風潮が強まりました。
直接言われずとも、そんな空気を肌で感じた私は、次第に周りの人に自分が投資をしていることを話さなくなりました。しかし、それでも私は『ウォール街のランダム・ウォーカー』で学んだ理論を信じ、誰にも言わず、淡々とインデックス投資での積立を継続したのです。
結果的に、その「孤独な積立」が実を結び、現在の穏やかな生活を手に入れることができました。あの時、世間の常識に流されずに自分の信じた道を進んで本当に良かったと思っています。
——そして最近、これと全く同じような「常識のズレ」によるすれ違いを経験しました。

新たな価値観の衝突:0歳からのジュニアNISAと暦年贈与
つい最近、会社員時代の元先輩(私より10歳ほど年上で、ご自身も資産を築き、投資をされている方です)とお話しする機会がありました。
会話の中で「お金の使い道」について聞かれたため、私は現在実践している子供たちへの資産移転について率直に話しました。具体的には、子供が0歳の時から証券口座(ジュニアNISA)を開設し、贈与契約書をしっかり交わした上で、毎年110万円の暦年贈与を行っているという内容です。
すると、先輩の顔色が少し変わり、こう言われました。
「子供にそんな大金を残したら、苦労を知らずに育ってダメになる。絶対に子供のためにならないよ」
この言葉を聞いた瞬間、私は20年前の飲み会の記憶がフラッシュバックしました。時代は変わり、相手は投資を実践している方であるにもかかわらず、またしても私の「お金の最適解」が、相手の「道徳的価値観」と衝突したのです。

「美徳」という名の一般論への違和感
昔も今も、「苦労してこそ人は育つ」「若いうちは買ってでも苦労せよ」といった道徳的に美徳とされていることは、疑われることなく「常識」として語られがちです。
例えば、アメリカの大富豪であるウォーレン・バフェット氏の「莫大な財産を子供に残すことはしない」というエピソードは有名ですが、実際には彼らも、子供が十分に生きていけるだけの多額の資産はしっかりと残しています。表面的な「美談」だけが一人歩きしているケースは少なくありません。
私は子供を想うからこそ、親はあえて「コンフォートゾーン(安心できる金銭的・精神的基盤)」を用意してあげるべきだと考えています。
💡 なぜコンフォートゾーンが必要なのか?
生活の不安(お金の不安)が排除された安全基地があるからこそ、子供たちは過度なプレッシャーに押しつぶされることなく、失敗を恐れずに自分のやりたいことへ思い切り挑戦できると考えているからです。
「多くのお金を相続すると身を滅ぼす」という意見もよく耳にします。確かにそういった側面はあるかもしれませんが、それは親が普段からお金の大切さや運用方法を十分に教育することで回避できるはずです。各家庭の個別の事情や教育方針を顧みず、「一般論」だけで思考停止してしまうことには、どうしても違和感を覚えてしまいます。
さらなる衝突:「賃貸派」vs「持ち家信仰」
余談ですが、この先輩とはもう一つ「価値観の衝突」がありました。
私はライフステージの変化に合わせてフレキシブルに動きたいと考えているため、「家は購入せず、ずっと賃貸でいく」と説明しました。すると先輩からは、「家を持ってこそ一人前だ」と住宅購入を強く勧められたのです。
| テーマ | 私(筆者)の考え | 元先輩の考え(世間的な常識) |
|---|---|---|
| 子供への資産移転 | 0歳から暦年贈与し、挑戦の土台を作る | 若いうちからお金を与えるとダメになる |
| 住まいへの考え方 | 身軽に動ける「賃貸」が合理的 | 家を購入してこそ一人前(持ち家信仰) |
結局、この話でもお互いの溝が埋まることはありませんでした。投資をしているリテラシーの高い先輩でさえ、なぜ私の合理的な選択をここまで強い言葉で否定したのでしょうか。
次項では、その裏に潜む「ある心理メカニズム」について紐解いていきたいと思います。
なぜ人は新しい最適解を拒むのか?(過去を正当化する心理)
投資のリテラシーもある先輩が、なぜ私の「暦年贈与」や「賃貸派」という選択を、あれほどまでに強く否定したのでしょうか。
先輩の気持ちになって想像してみると、そこには人間の持つ厄介な心理メカニズムである「認知的不協和(過去の自分の選択への正当化)」や「現状維持バイアス」が強く働いていたのだと思います。

過去の自分を守るための「認知的不協和の解消」
「認知的不協和」とは、自分の過去の行動や信念と、新しく提示された事実が矛盾した時に感じる、強い心理的ストレスのことです。人はこのストレスを解消するために、無意識のうちに「新しい事実のほうを否定して、過去の自分を正当化する」という行動に出がちです。
今回の先輩のケースに当てはめてみましょう。お子さんが大きくなってから「0歳からの非課税での資産移転(最適解)」の話を聞かされたとしたら、心の中ではどう感じるでしょうか。
| 心理プロセス | 先輩の心の中(想像) |
|---|---|
| ① 新たな事実の認知 | 「0歳から暦年贈与と投資を組み合わせるのが合理的だ」と聞く。 |
| ② 心理的ストレスの発生 (認知的不協和) | 「自分はそれをやってこなかった。もしかして、自分の子育てやお金の選択は間違っていたのか?」と不安になる。 |
| ③ ストレスの解消 (過去の正当化) | 「いや、子供に早くからお金を与えると身を滅ぼす!だからお金を与えなかった自分のやり方こそが正しかったんだ!」と結論づける。 |
決して私を攻撃したかったわけではなく、「過去の自分の選択は間違っていなかった」とご自身を納得させるために、一般論としての「美徳」を持ち出して、私のやり方を否定せざるを得なかったのだと思います。

マイホーム信仰も同じ構造
「賃貸か、持ち家か」という議論でお互いの溝が埋まらなかったのも、全く同じ構造です。
住宅購入は、人生で最も大きな買い物であり、何十年ものローンを背負うという巨大な決断を伴います。昔は「家を持って一人前」という価値観が当たり前でした。
それなのに、家を購入できるだけの十分な資金を持っている人間から「私は身軽でいたいから、あえてずっと賃貸でいく」と合理的な説明をされてしまうと、先輩からすれば、自分が過去に下した「数千万円の決断」の根幹を揺さぶられるような気持ちになったのかもしれません。
新しい最適解を拒絶してしまうのは、決してその人が愚かだからではなく、自分自身の過去を守ろうとする人間としての自然な防衛反応なのだと、私は理解しています。

おわりに:未来の非常識を笑わないために、自戒を込めて

ここまで、先輩や友人が「新しい最適解」を受け入れられない心理について偉そうに語ってきましたが、実を言うと、私自身も決して例外ではありません。
最近、子育てにおいて全く同じ失敗……つまり「自分の古い常識(バイアス)」を無意識のうちに子供に押し付けてしまうという出来事があったのです。
天才たちの「非常識」と、現代の新しい最適解
過去の記事でも触れましたが、大谷翔平選手はかつてプロ野球界で「非常識」とされた投打の二刀流に挑戦し、見事に大成功を収めました。今となっては、投手と打者の両方をこなすことによる相乗効果すら指摘されています。
また、将棋の藤井聡太棋士も、AI学習が一般的になる前からいち早く練習にAIを取り入れていました。当初は邪道だ、非常識だと言われたかもしれませんが、今やそれは将棋界の「常識」となっています。
これらから学べる現代の常識とは、古い型にはめることではなく、「それぞれの個性に合った練習や学習スタイルを模索し、確立すること」です。

私の中に潜んでいた「昭和スタイルの常識」
それなのに私は、自分の子供に対して真逆のことをしてしまいました。
こちらの過去記事にも書いた通り、私は子供に座学の適性があまりないと感じていながら、無理に1年間も公文式に通わせてしまったのです。
なぜそんなことをしてしまったのか。
それは私の中に、「勉強は苦しくて当然」「机に向かう座学こそが普通」「タブレット学習なんてゲームと同じで勉強じゃない」という、バリバリの昭和スタイルの常識が根強く残っていたからです。
幸いにも、妻から「この子に公文学習は合っていないよ」と客観的なアドバイスをもらい、別の学習方法へ切り替えることができました。もし妻の指摘がなければ、私は自分の「現状維持バイアス」に気づかないまま、今でも子供に苦しい座学を強要していたことでしょう。

価値観をアップデートし続ける柔軟性を

私たちが今信じて疑わない「今の常識」も、10年後、20年後には「未来の非常識」に変わっている可能性が非常に高いです。
「未来の非常識」を笑い、新しい最適解を否定する側の人間にならないために。そして何より、子供たちや若い世代が持つ無限の可能性や挑戦の芽を、自分の「古い価値観」で無自覚に摘み取ってしまわないために。
年齢を重ねても、自分の価値観を疑い、アップデートし続ける柔軟性を持ちたい。今回の痛い失敗を教訓として、強く自戒しつつこの記事の結びとさせていただきます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
「聴くブログ」としても配信中
この記事の内容は、YouTubeチャンネルでも音声解説として公開しています。ブログでは書ききれなかった裏話や、私自身の率直な所感も交えてお話ししています。ラジオ感覚でぜひお楽しみください。


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