誰もが「おかしい」と分かっているのに前例踏襲が止まらない理由

ニュースやSNSで話題になった福岡県議会の海外視察問題。高額な予算や視察の実態に対して厳しい批判が集まりましたが、「なぜ誰も途中で止められなかったのか」と不思議に思った方も多いのではないでしょうか。
しかし、視線を自分の身近な職場や所属組織に向けてみると、同じような光景に心当たりがないでしょうか。
- 「無駄だと分かっている定例会議」
- 「誰も読まない紙の報告書」
- 「時代に合わない手入力の事務作業」
周囲の誰もが「これ、意味あるのかな」と感じているのに、見直しが行われないまま毎年繰り返されていく――。
なぜ、組織では「誰もが得をしない、おかしな前例」がこれほどまでに強力に生き残り続けるのでしょうか。その背景には、個人の道徳観やリテラシーの問題だけでは片付けられない、組織特有の強い力学が存在しています。

福岡県議会の海外視察問題にみる「昭和の慣行」の根深さ
今回の福岡県議会による海外視察の例に限らず、自治体や歴史のある企業では、社会の変化から取り残されたような「昭和の慣行」が色濃く残っています。
部外者である市民や客観的な視点から見れば、「今どき海外に行かなくてもオンラインで済むのでは」「もっと費用を抑えたやり方があるはずだ」と首をかしげたくなるような支出や運用も、組織の内側にいると違って見えてしまいます。
内部にいる人たちも、決して全員が世間の感覚から完全にズレているわけでも、悪意を持って無駄遣いをしているわけでもありません。個人的に話を聞いてみれば、「本当は時代遅れですよね」「非効率だと思います」と本音を漏らすケースがほとんどです。
これは決して公的な組織に限った話ではありません。
私自身、会社員時代に他社との共同事業(ジョイントベンチャー)に関わっていた頃、まさにこの「前例踏襲の不合理さ」を痛感した経験があります。
当時、とにかく膨大な数の会議がありました。自社内のグループ会議、相手企業を含めたグループ会議、さらにそれらをすべて集めた全体会議……と重層的に設定されており、驚くべきことにマネージャー層だけでなく、担当者全員の参加が義務付けられていたのです。
「マネージャーが必要な情報だけをピックアップして、担当に指示を出せば済む話では?」
そう誰もが薄々感じていました。しかし、「前例として全員参加でやってきたから」「参加していないと『情報を共有していない』と後から責められるから」という理由だけで、大量の人員が何時間も拘束され続けていたのです。
当事者たちの頭の中では「非効率だ」と分かっていても、いざ意思決定の場になると「この会議構造を見直そう」と言い出す人は現れません。
「これまでこれでやってきたから」
「波風を立てる方が面倒だから」
そうした事実に誰も疑問を口にしないまま、過去の慣性( inertia )だけで不合理な慣習が維持されていくのです。
組織を動かしているのは「正しさ」ではなく「減点回避」
なぜ、個人としては「おかしい」と認識しているのに、組織としてはそれを止めることができないのでしょうか。
最大の理由は、多くの組織において働く個人の行動原理が「社会的な正しさ」や「合理性の追求」ではなく、「いかに自分への減点を避けるか(保身)」になっているからです。
【前例を踏襲する心理構造】
- 前例を踏襲した場合:
- うまくいった場合:当然とみなされ、評価(加点)は特にない。
- 外部から批判された場合:「過去のルールに従って処理しました」と言い訳ができ、担当者個人の責任(減点)は問われにくい。
- 前例を変えようとした場合:
- うまくいった場合:多少の評価は得られるが、劇的な報酬アップにはつながらない。
- 失敗・不都合が出た場合:「なぜ余計な前例のないことをしたのか」とすべての責任が担当者個人に集中(大減点)する。
このように並べてみると、組織で働く個人にとって最も安全で「合理的な選択」が何かが見えてきます。
正しさや合理性を追求して新しいアプローチを試みるメリット(加点)は極めて小さいのに対し、失敗したときのリスク(減点)は絶大です。一方で、愚かな前例を踏襲していれば、たとえ後から外部から批判を浴びても、組織の陰に隠れて「前例通りでした」と自己防衛ができます。
つまり、前例踏襲が止まらないのは、担当者が怠慢だからでも無知だからでもなく、「前例に従うことが、個人にとって最も自己防衛になる」という組織の構造そのものに原因があると言えます。
なぜ「良い挑戦」をした人ほど吊るし上げられるのか
「おかしい前例が残る理由は分かった。でも、正しいと思った提案をして成果を出せば、評価されるのではないか?」
そう考える方もいるかもしれません。業務の無駄を省き、新しい手法を取り入れる提案は、組織にとってもプラスになるはずだからです。
しかし現実には、勇気を出して「良い挑戦」をした人ほど、周囲から冷ややかな目で見られたり、ひとたび問題が起きると集中的に叩かれたり(吊るし上げられたり)することが少なくありません。
なぜ、組織のために良かれと思って動いた人が、バッシングの対象になってしまうのでしょうか。
前例がない行動=失敗したときの言い訳が存在しないリスク
挑戦者が吊るし上げられる最大の理由は、「前例がない行動には、失敗したときに自分を守る『言い訳の参照先』が存在しないから」です。
どれほど綿密に準備された素晴らしい提案であっても、仕事において「失敗する確率(あるいは予期せぬトラブルが起きる確率)をゼロにする」ことは不可能です。
問題は、トラブルが発生したときの「周囲の反応」と「責任の所在」です。
- 前例がある行動でトラブルが起きた場合:
「これまではこの手順で問題ありませんでした」
「規定の運用通りに進めた結果です」
→ 失敗の責任は『ルールや仕組み』に分散され、個人の責任は追及されにくい。 - 前例がない行動でトラブルが起きた場合:
「なぜ前例にない余計なことをしたんだ」
「余計な真似をしなければ、こんなトラブルは起きなかったのに」
→ 失敗の責任が100%『提案・実行した個人』に集中する。

組織におけるバッシングは、失敗のインパクトそのものよりも「なぜその行動をとったのかという根拠(前例)」がないことに対して強く向けられます。
前例のない挑戦を選ぶということは、「成功したときの取り分はわずかなのに、失敗したときの攻撃をすべて素肌で受け止める」という、極めて不利な賭けに身を投じることを意味しているのです。
不作為(何もしないこと)が最も安全という歪んだインセンティブ
この構造が定着すると、組織の中では恐ろしい「期待値の逆転」が起こります。
| 行動パターン | 成功したときのリターン | 失敗・問題が起きたときのリスク | 組織内での実質的な期待値 |
|---|---|---|---|
| 良い挑戦をする (前例を破る) | わずかな評価・お礼 | 個人の大減点・吊るし上げ | マイナス |
| 前例通りやる (不合理でも継続) | 変化なし(標準) | 組織の陰に隠れて減点ゼロ | プラス(安全) |
| 不作為を通す (何もしない) | 変化なし(標準) | 責められない・減点ゼロ | 最も安全 |

挑戦したときのリターンが小さく、失敗したときのリスクが絶大である以上、合理的な判断ができる人ほど「何もしないこと(不作為)」を選択するようになります。
「業務上の無駄に気づいているけれど、黙っておく」
「改善策はあるけれど、自分の担当範囲からはみ出す発言はしない」
これが、歪んだ組織の中で生き残るための「最適解」になってしまうのです。
結果として、組織のためを思って声を上げた熱意ある人だけが傷つき、姿を消していきます。そして残るのは、「何もしないことが一番安全だ」と知っている人たちばかりになるのです。
では、そうして「不作為」を選び続ける人々で満たされた組織は、一体どんな状態になっているのでしょうか。
「この会社は大丈夫」だから残っているのではない
前例踏襲に終始し、挑戦者を吊るし上げるような組織には、やがて「波風を立てず、何もしないこと」に特化した人々だけが残っていきます。
そうした職場を見渡したとき、ふと疑問に思うことはないでしょうか。
「なぜ、こんなにおかしい組織なのにみんな辞めないのだろう?」
「みんな、この会社や組織の未来は大丈夫だと本気で思っているのだろうか?」
一見すると、残っている人たちは「自社(組織)の安定性や将来性を評価しているから留まっている」ように思えるかもしれません。しかし、構造を深く解き明かすと、まったく別の理由が見えてきます。

組織に残る人が抱える「後ろ向きの消極的選択」
結論から言えば、おかしくなった組織に留まり続けている人の多くは、「この会社は大丈夫だから」という前向きな信条で残っているわけではありません。
むしろ、「他に出るリスクを取るより、ここで黙ってやり過ごす方がマシだ」という、後ろ向きの消極的選択をした結果として残っている可能性が高いのです。
【組織に残る人の本音と構造】
- 表向きの姿勢: 組織の決定に従い、古い前例通りに業務をこなす「忠実な社員・職員」。
- 内面にある本音:
- 「今さら外に出て通用するスキルや実績がない」
- 「転職や独立のリスクを冒したくない」
- 「無駄だと分かっていても、給料をもらうために合わせている方が楽だ」
これは、ある種の「消極的な最適化」です。
組織の自浄作用や将来性を信じているのではなく、「波風を立てずに時間をやり過ごすことが、自分にとって最も安全で損をしない」と計算しているわけです。
こうなると、意思決定層や中核を占めるのは「保身と前例踏襲のプロ」ばかりになります。外部からの強烈な強制力(経営破綻や大規模な法的追及など)がない限り、組織が内部から自然に生まれ変わることはまずありません。
組織を変えようと奮闘するコストが高すぎる現実
では、そうした組織の理不尽さや構造的な歪みに気づいたとき、私たちはどうすればいいのでしょうか。
真っ先に思い浮かぶのは「正義感を持って、内部から声を上げて組織を変える」という選択肢です。
「おかしいことはおかしいと言うべきだ」
「業務を効率化し、時代に合わせたやり方に変えよう」
その姿勢自体は非常に尊いものです。しかし、個人の生存戦略という観点から冷静に考えると、自浄作用を失った組織を変えようと奮闘するコストとリスクは、あまりにも高すぎます。
保身を第一とする人々で固められた組織の中で、一社員が改革を起こそうとすれば、次のような壁にぶつかります。
- 膨大な調整コスト: 関係各所への根回しや「前例がない」という反対の説得に、本来の業務以上のエネルギーを奪われる。
- 感情的な摩擦と孤立: 「余計な仕事(変化)を増やす面倒な人」と見なされ、周囲から距離を置かれる。
- リターンの少なさ: 仮に一部を変えられたとしても、個人の評価や報酬はほとんど変わらない。

個人の貴重な時間、精神力、そしてキャリアのエネルギーを、変わる気のない組織の改革に費やすのは、費用対効果(コスパ)が著しく低いと言わざるを得ません。
「組織を変える」という不可能な戦いにエネルギーを注ぐのは、もうやめましょう。
では、組織を変えることを諦めた上で、私たちは自分自身の人生とどう向き合っていけばいいのでしょうか。
おかしいと思った組織の中で、個人がとるべき「賢い振る舞い」

組織の力学を理解し、「自浄作用を期待して変えようとするのはコストが高すぎる」と分かったとき、私たちはどう振る舞うべきなのでしょうか。
絶望して愚痴を言い続ける必要も、正義感に燃えて孤立無援の戦いを挑む必要もありません。
目指すべきは、「不条理な組織とまともに戦わず、自分の人生の主導権を静かに手元に取り戻すこと」です。そのための具体策を3つのステップで解説します。
① 組織改革にエネルギーを割かない(諦める勇気)

第一のステップは、不合理な前例や謎のルールを変えようと奮闘するのをやめる「諦める勇気」を持つことです。
私自身、半導体の技術開発に携わっていた頃、この「前例と謎ルールの壁」にぶつかった苦い経験があります。
当時、半導体素子の機能を改善するため、新しい材料の導入を検討していました。ところが検討を進める中で、社内に存在する「ある謎のルール」に引っかかってしまったのです。
誰がいつ作ったのかも分からず、なぜかみんなが昔から守っているルール。
「合理的な理由があるなら納得できる」と考えた私は、そのルールができた経緯や根拠を過去の資料や関係者から辿ろうとしました。しかし、どれだけ遡っても根拠にはたどり着けず、時間だけが虚しく過ぎていきました。
結局、過去の経緯を追うのは諦め、本来不要だったはずの「別の遠回りな改善策」をゼロから準備せざるを得なくなったのです。
どれほど理不尽に見えても、成り立ちすら不明なルールや前例を変えるには、個人の情熱をはるかに超えるエネルギーを消費します。
「この組織はそういうシステムで動いている」とドライに割り切り、組織改革に自分の貴重な時間やメンタルを割かないこと。それが、自分自身の成果と精神を守るための最優先事項です。
② 良いと思った試みは「個人レベル」で小さく実験する

「組織を変えるのを諦める」というのは、新しい挑戦や工夫をすべて捨てるということではありません。
全体を変えようと大きな提案をして目立つからこそ、前例踏襲の波に呑まれたり、周囲から叩かれたりするのです。であれば、「他人に干渉されない、個人の狭い領域」で静かに試せば問題ありません。
- 自分自身のデスクワークの手順を効率化してみる
- 新しいITツールやAIを使って個人の作業時間を短縮する
- 誰も見ていないところで小さな改善実験を行ってみる
アピールせずに個人レベルで小さく実行すれば、仮に失敗しても誰にも迷惑をかけずコッソリ修正できます。そして、うまくいけば「自分だけのスキルやノウハウ」として確実に蓄積されます。
組織の評価を上げるためではなく、「自分自身の能力を高めるための実験場」として職場を活用する感覚を持つのが賢明です。
③ いつでも抜け出せる「脱出のカード」を手に握っておく

書籍やセミナー等でもよく言われるように、何より重要なのが「この組織がどうなっても、自分はいつでも逃げられる」という準備を進めておくことです。
理不尽な前例踏襲や社内政治に強いストレスを感じるのは、「この組織に依存して生きるしかない」という恐怖があるからです。カードを握っていない状態での我慢は、単なる苦行でしかありません。
「いつでも脱出できるカード」を作るために、今日からできる準備は3つあります。
- ポータブルなスキルの獲得: その社内だけでしか使えないローカルルールではなく、他社や個人でも通用する知識やスキルを磨く。
- 経済的自立(資産形成): NISA(金融庁)や株式投資などを活用して資産を構築し、「組織からの給料」に対する依存度を少しずつ下げる。
- 個人の選択肢の選択肢作り: 副業や個人事業、あるいは小さな法人(マイクロ法人)の活用など、「自分の力で生計を立てる仕組み」について勉強しておく。

手に「脱出のカード」を1枚握った瞬間、組織の見え方はガラリと変わります。
上司から理不尽な前例を押し付けられても、「まあ、私はいざとなればいつでも辞められますからね」と心の中で冷静に俯瞰できるようになり、精神的な余裕が生まれます。
相手を変えようとするのではなく、「自分の足で立つ準備」を始めることこそが、不条理な組織に対する最強の防衛策なのです。
まとめ:組織に期待せず、自分の足で立つ準備を始めよう

福岡県議会の海外視察問題から、私たちの身近な職場に蔓延する不合理なルールまで――。
誰もが「おかしい」と分かっている前例が残り続けるのは、働く人々の道徳観が低いからではありません。
「前例に従っていれば個人の責任は問われないが、新しい挑戦をして失敗すればすべてを失う」という、組織の構造的な減点主義が生み出した必然の結果です。
そうした保身と不作為で満たされた組織を前にしたとき、私たちが取るべき選択肢は明確です。
組織を変えようと正義感に燃えて消耗するのをやめ、「自分の人生の主導権を自分のもとに取り戻すこと」です。
- 組織改革は諦める: 理由も分からない謎ルールや前例と戦うエネルギーを遮断する。
- 個人の領域で試す: 他人に干渉されない範囲で小さな改善やスキルアップを淡々と重ねる。
- 脱出のカードを握る: 知識、スキル、知識や資産形成を通じて、いつでも組織を抜け出せる状態を作る。
「この組織がダメになっても、自分はいつでも次へ行ける」
その確信と選択肢を手に握ることができれば、理不尽な前例を踏襲する組織の中にいても、精神的な余裕を保ちながら冷ややかに俯瞰できるようになります。
組織に過度な期待を寄せるのは、もう終わりにしましょう。
愚かな前例に振り回される側にとどまるのではなく、自分自身の足で静かに立ち上がるための準備を、今日から少しずつ進めていきませんか。


コメント