「生殺与奪の権を他人に握らせるな」会社員時代のモヤモヤの正体
「生殺与奪(せいさつよだつ)の権を他人に握らせるな!」
これは、大ヒット漫画『鬼滅の刃』(吾峠呼世晴 著/集英社)の第1話で、水柱・冨岡義勇が絶望しひれ伏す主人公に向けて放った、あまりにも有名なセリフです。
鬼に家族を奪われ、命乞いをするしかない無力な人間に対する厳しい喝ですが、実はこの言葉、現代社会を生きる「会社員」の核心を突いていると感じてなりません。
私が会社員として働いていた頃、心の奥底に常に得体の知れない「モヤモヤ」を抱えていました。その最たる例が、職場に蔓延する「付き合い残業の空気」です。
自分の担当業務はとっくに終わっている。定時で帰る権利も、物理的な準備もできている。それなのに、同僚や先輩が夜遅くまでパソコンに向かっていると、なんだか帰りづらい……。先に帰ると職場の雰囲気を悪くしてしまうのではないかと考え、結局用もないのに会社に残ってしまうことが多々ありました。
この理不尽な状況を整理すると、以下のようになります。
| 状況・要因 | 自分の本音 | 会社・職場の無言の圧力 | 妥協した結果 |
|---|---|---|---|
| 業務の進捗 | 終わったから早く帰りたい | 周りはまだ忙しそうにしている | 帰りづらいから残る |
| 評価の基準 | 成果を出したのだから問題ないはず | 「協調性」や「頑張っている感」も重視される | 評価を下げたくないから残る |
| 心理的状態 | 理不尽なモヤモヤを感じる | 波風を立てないことが組織の美徳 | 自分の時間を犠牲にする |

なぜ、自分の仕事が終わっているのに堂々と帰れないのでしょうか?優しいから?空気が読めるから?
いいえ、根本的な原因はもっとシビアなところにあります。それは、自分の生活や人生の基盤となる「生殺与奪の権」を、完全に会社(組織や上司)に握られていたからです。
当時の私は、上司からの評価が少しでも下がることを極端に恐れていました。評価が下がれば、給与やボーナスが減り、最悪の場合は望まない部署へ異動させられるかもしれない。生活の糧を得る手段が「その会社からの給料」しかなかったため、組織の理不尽な空気にも逆らうことができなかったのです。
自分の人生のコントロール権を他人に委ねてしまっている状態。これこそが、会社員時代に常に付きまとっていた「モヤモヤ」の正体でした。

会社での評価=自分の全価値?「1極集中」がもたらす錯覚
前章で「生殺与奪の権を会社に握られている」とお話ししましたが、なぜ私たちはそこまで会社という存在を巨大に、そして絶対的なものとして感じてしまうのでしょうか。
その答えは非常にシンプルで、「人生の大部分の時間を、会社という一つの組織で過ごしているから」です。
特に、かつての私のように「独身」で「これといった趣味もない」状態の会社員を想像してみてください。平日は朝から晩まで働き、疲れて帰って寝るだけ。休日は平日の疲れをとるためにダラダラと過ごす……。このような生活サイクルに陥っていると、自分が所属しているコミュニティ(居場所)が事実上「会社」ただ一つになってしまいます。
投資の世界では、一つの銘柄や資産にすべての資金を投じることを「集中投資(1極集中)」と呼び、非常にリスクが高い行為として警戒されます。実は、これと全く同じ危険な状態が、自分の人生やアイデンティティにおいても起きていたのです。
| 状態 | 居場所の割合(例) | 職場で評価が下がった時の心理 | リスク度 |
|---|---|---|---|
| 過去の私 (独身・無趣味) |
会社:100% | 「自分はダメな人間だ」と、自分の全価値が否定されたように絶望する。 | 極めて高い |
| 理想的な状態 (依存先の分散) |
会社:50% 趣味の仲間:30% 家族・友人:20% |
「仕事ではミスをしたけれど、自分には別の居場所がある」と精神的な逃げ道を持てる。 | 低い(分散) |
所属するコミュニティが会社一つしかない状態だと、人間の脳は恐ろしい錯覚を起こします。それは、「会社での評価=自分の人間としての全価値」だと思い込んでしまうことです。
上司から叱責されたり、同期に出世で先を越されたりすると、それは単なる「その組織内での一時的な評価」に過ぎないはずなのに、まるで自分の人格や存在そのものを否定されたかのように深く傷ついてしまいます。
私も独身時代、趣味と呼べるものが何もなかった頃は、まさにこの「1極集中」の罠にハマっていました。自分の世界が会社しかなかったため、同僚や先輩が夜遅くまで残業していると、「ここで空気を乱して職場の居心地が悪くなれば、自分の居場所(=世界のすべて)を失ってしまう」という無意識の恐怖が先行し、自分の業務が終わっていても無意味に会社に残る選択をしてしまっていたのです。

自分の評価は「中の下」。このまま65歳まで働き続けることへの絶望
新卒で会社に入り、無我夢中で業務をこなして2〜3年も経つと、組織の中で嫌でも見えてくるものがあります。それは、周囲と比較した時の「自分の相対的な立ち位置」です。
仕事のスピード、正確性、コミュニケーション能力、そして上司からの評価。日々の業務を通じて、自分が組織の中でどれくらい仕事ができる人間なのかが、残酷なくらいに客観視できるようになってきます。
もし私が、誰よりも早く正確に仕事をこなし、社内で常に表彰されるようなエース社員であれば、これまで感じていたような「同調圧力へのモヤモヤ」は抱かなかったかもしれません。なぜなら、会社という場所が自分の承認欲求を十二分に満たしてくれる「最高の居場所」になるからです。
しかし、自分の能力を冷静に分析した結果は、決して華々しいものではありませんでした。
贔屓目(ひいきめ)に見ても「中の中」。
客観的にシビアに判断すれば「中の下」。
これが、会社という組織における私のリアルな現在地でした。特別に仕事ができないわけではないけれど、決して目立つ存在でも、不可欠な存在でもない。
この現実に直面した時、ふと恐ろしい想像が頭をよぎりました。
「この『中の下』という評価に甘んじながら、常に周囲の顔色をうかがい、付き合い残業のような理不尽な空気に耐える日々が、定年の65歳まであと何十年も続くのだろうか?」
それは、控えめに言っても「絶望」に近い感情でした。
| 要素 | 当時の私の状況 | もたらされる心理的影響 |
|---|---|---|
| ① 社内での評価 | 客観的に見て「中の下」 | 劇的な出世や待遇アップは見込めないという諦め |
| ② 依存の度合い | 会社への依存度100% | ここをクビになったら終わりという恐怖 |
| ③ 期間の長さ | 65歳の定年まで約40年 | この苦痛が果てしなく続くという閉塞感 |
しかし、この絶望感が、皮肉にも私の頭の中を冷静に整理するきっかけをくれました。なぜ私は、会社での評価や職場の空気に、これほどまでに一喜一憂(いっきいちゆう)し、心をすり減らしているのか。
その根本的な原因は、自分の能力が低いことでも、職場の環境が悪いことでもありませんでした。「会社というたった一つのカゴに、自分の人生という卵をすべて入れている(依存している)」からこそ、そのカゴが揺れるたびにパニックになっていたのです。

モヤモヤの解消法は「精神的な自立」ではなく「依存先の分散」だった
会社への「1極集中依存」がすべてのモヤモヤと絶望の元凶だと気づいた時、私はどうすればこの状況から抜け出せるのかを真剣に考えました。
よくあるビジネス書や自己啓発本を読むと、このような悩みに対しては「他人の目を気にするな」「組織に寄りかからず、精神的に自立せよ」といったアドバイスが書かれています。
しかし、率直に言って、凡人である私にとって「何にも依存せず、自分一人の力で精神的に自立する(=強いメンタルを持つ)」というのは、あまりにもハードルが高すぎました。
人間は社会的な生き物です。誰かに認められたい、どこかに所属していたいという欲求を完全に断ち切ることなど、そう簡単にできるものではありません。

そこで私が導き出した結論は、「何にも依存しない強靭なメンタルを作ること」ではなく、「依存先を複数に分散させること」でした。
投資の世界に「卵は一つのカゴに盛るな」という有名な格言があります。すべての卵(資産)を一つのカゴに入れておくと、そのカゴを落とした時にすべて割れてしまいますが、複数のカゴに分けておけば、一つ落としても他の卵は守られるという「分散投資」の重要性を説いた言葉です。
これと全く同じロジックを、自分の人生やメンタル管理に応用しようと考えたのです。
1本の脚しかないイス(=会社のみ)は、その脚が折れれば確実に転倒します。しかし、4本脚のイスであれば、1本の脚(=会社での評価)が多少グラついても、他の3本の脚がしっかりと自分を支えてくれます。
会社で理不尽な思いをしたり、評価が下がったりしても、「まあ、自分には別の居場所があるし」「会社以外でも評価してくれる人がいるし」と心から思える状態を作ること。
これこそが、会社に握られた「生殺与奪の権」を自分自身の手に取り戻すための、最も現実的で効果的な生存戦略だと確信しました。

コミュニティと収入の依存先を増やして気づいた、人生を楽しく生きるコツ
「依存先の分散」という結論に至った私は、会社以外の世界に自分の居場所と収入源を少しずつ増やしていくことにしました。具体的に手をつけたのは、大きく分けて「コミュニティ(人間関係)」と「収入」の2つの軸です。

まず、コミュニティの分散として、身体を動かすためにスポーツジムに通い始めました。そこから走る楽しさに気づき、会社の枠を超えた活動としてマラソンクラブにも所属。さらに、全く毛色の違う趣味として「書道教室」にも通うようになりました。
これらの新しいコミュニティに飛び込んでみて、私にはある強烈な気づきがありました。それは、「仕事の成果以外で褒められる経験が、自己肯定感を劇的に回復させる」ということです。
書道教室で「とめ・はねがとても綺麗ですね」と褒められたり、マラソンでタイムが縮んで仲間と喜び合ったりする。そこには「会社の評価(中の下)」は一切関係ありません。ただの一人の人間として認められ、褒められる。その小さな成功体験の積み重ねが、「自分自身のことを好きになる感覚」を少しずつ取り戻してくれました。

次に、収入の分散です。
会社からの給与だけに依存する恐怖を和らげるため、まずは副業を始めました。そして、給与の一部を天引きするような感覚で、計画的に「株式投資」へと回す仕組みを作りました。
| 分散の軸 | 具体的なアクション | 得られた効果・心理的変化 |
|---|---|---|
| コミュニティ (心の依存先) |
・スポーツジム ・マラソンクラブ ・書道教室 |
会社の肩書きを外した自分を認めてもらえる。 「仕事ができなくても、私には価値がある」と実感。 |
| 収 入 (お金の依存先) |
・副業 ・株式投資 |
会社に頼らなくても「自力で稼げる」という実感。 経済的な逃げ道ができ、心に余裕が生まれる。 |
副業や投資で得られる金額は、最初は微々たるものかもしれません。しかし、「自分の力でお金を生み出した」「配当金という不労所得が入ってきた」という事実は、金額の大小以上に大きな意味を持ちます。
「万が一会社を辞めても、明日すぐに路頭に迷うわけではない」
「私には自分の力で稼ぐ手段がある」
この実感が持てた時、あの重苦しかった「生殺与奪の権を会社に握られている」という息苦しさから、ついに解放されたのです。会社はあくまで「複数ある収入源・コミュニティの一つ」に過ぎなくなり、無駄な付き合い残業をスルーして定時で帰ることも、全く苦にならなくなりました。

人生を楽しく、心穏やかに生きるためのコツは、たった1つのものにすがりつくことではありません。
仕事、趣味、家族、友人、投資、副業……。いくつもの「多角的な依存先」を育てること。それが、不安定な時代を生き抜くための最強の生存戦略であり、自分らしく生きるための第一歩です。

【最後に:明日からできる小さなアクションプラン】

この記事を読んで「自分も会社への依存を減らしたい」と感じた方は、ぜひ明日、以下のどちらか1つだけ、小さな行動を起こしてみてください。
- コミュニティの分散: 会社の人が絶対にいない趣味の場(ジム、習い事、オンラインサロンなど)の体験申し込みを1件だけポチッとしてみる。
- 収入の分散: 月3,000円からでもいいので、証券口座を開設して少額投資を始めてみる。または副業に関する本を1冊買ってみる。
ほんの小さな一歩ですが、その行動が「自分の人生の主導権」を取り戻す大きなきっかけになるはずです。生殺与奪の権は、会社ではなく、あなた自身の手に握らせておきましょう。



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