漠然とした不安を消す論理的思考法。最悪のケースを想定し、コントロールできることに集中する

哲学

夜、ふと将来のことが頭をよぎり、言い知れぬ不安で眠れなくなった経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。
「もし、失敗したらどうしよう」「この先、どうなってしまうんだろう」と、足がすくんで行動できなくなる気持ち、痛いほどよくわかります。

実は私自身も、もともとは「将来の不確定なこと」がとにかく怖くて仕方ない、とても臆病な性格でした。
今回は、そんな私がどのようにして論理的に不安を解きほぐし、自分の人生をコントロールできるようになったのか、その思考法をお伝えします。今、不安で立ち止まっている方の心が、少しでも軽くなれば嬉しいです。

暴走車から進学まで。とにかく「不安で仕方なかった」子供時代

まずは、私がどれほど「不安に支配されていたか」についてお話しさせてください。
小学生時代の私は、毎日が不安の連続でした。例えば、次のような些細な日常の出来事や、学校で知った事実が、私を深い恐怖の底に突き落としていたのです。

不安の種当時の私が恐れていた「最悪のケース」
通学路徒歩で通学中、もし車が暴走してきて轢かれたらどうしよう
男女の出生比率男性の方が多いから、将来自分は誰とも結婚できないのではないか
高校進学勉強ができないため、学力で振り分けられる高校にどこも進学できないのではないか

特に私を絶望させたのが、小学校の社会の授業で学んだ「出生時の男女比」のデータでした。
(参考:参議院調査情報「都道府県別、時系列及び国際比較で見た出生時の男女比」によると、自然な状態では女性100に対して男性が概ね105と、男性の方が少し多く生まれます)

この事実を知った小学生の私は、「同世代の男性の方が多いなら、あぶれる男が絶対に出る。自分は結婚できない運命なんだ!」と本気で思い込み、激しく落ち込みました。さらに、もともと勉強が得意ではなかったため、「このままでは高校に進学できないのでは」という恐怖も常に抱えていました。

不安すぎると、人は「思考停止」に陥る

本来であれば、不安を解消するために「勉強を頑張ろう」などと対策をすればいいはずですよね。しかし、当時の私はそうはなりませんでした。
あまりにも不安が大きすぎると、人間はどう対策していいか分からなくなり、完全に「思考停止」に陥ってしまうのです。

とにかく不安で不安で仕方ない。でも、何か対策をしようという気力すら湧かない。
ただ漠然と怯えながら毎日を過ごすだけで、20歳を超えて大人になり、大学院に進学した後も、私の心の中には常に「不確定な将来への怯え」が居座り続けていました。

大学院時代の母との別れで気づいた、たった一つの事実

そんな私の根底にある価値観を大きく揺るがす出来事が起きました。大学院生の時、50代前半だった母が乳がんで亡くなったのです。

若くしてこの世を去った母の姿を目の当たりにした時、深い悲しみとともに、ある一つの絶対的な事実に直面せざるを得ませんでした。
それは、「人間は、いずれ必ず死ぬ」ということです。

どんなに不安に怯えて生きようと、人生には等しく「終わり」がやってきます。命の有限性を突きつけられた時、これまで私が抱えていた漠然とした不安が、いかに実態のないものだったかに気づかされました。

この時、私の中で生きる目的が明確に変わりました。
「どうせいつか死ぬことが確定しているのなら、生きる目的とは、そのゴールに向かっていく過程そのものを味わい、楽しむことではないか?」

「死」は人間の努力でどうにかできるものではありません。絶対に解消できない事実だからこそ、抗うのではなく「受け入れるべきもの」だと腑に落ちたのです。

不安は「努力で解消できるか・できないか」の2種類しかない

この経験を経て、私の頭の中で、これまでごちゃ混ぜになっていた「不安」が、くっきりと2つに分類されるようになりました。

  • ① 努力によって解消できる不安(例:勉強ができない、お金が足りない)
  • ② 努力によって解消できない不安(例:いつか死ぬ、相手の気持ち)

私が子供の頃に怯えていた「勉強ができない」という不安は、明らかに「① 努力で解消できる不安」です。自分が勉強という行動さえ起こせば解決することに対して、ただ怯えているのは非常に無駄な時間だったと気づきました。

「相手がいること」への向き合い方

では、私が絶望していた「結婚できないのでは?」という不安はどうでしょうか。
結婚や恋愛は「相手の同意」が必要不可欠であり、他人の心を100%コントロールすることはできません。つまり結果自体は「② 努力で解消できない不安」になります。

しかし、だからといって諦める必要はありません。
結果はコントロールできなくても、「自分にできる範疇の努力」は必ずあるからです。

例えば、清潔感を出すこと、相手が不快にならないよう配慮すること、一緒にいる時間を楽しませようと工夫すること、好意を素直に伝えること。これらはすべて「自分ができること」です。
自分にできる努力をすべてやり切り、あとはどんな結果が出てもそれを受け入れる。そう割り切って考えるようにしたことで、私の心は驚くほど軽くなりました。

日商簿記1級も起業も同じ。ワーストケースのリソースを見積もる

不安を「自分がコントロールできること」に絞り込めたら、次に行うべき最強の思考法があります。
それは、「ワーストケース(最悪の事態)を想定し、失うリソースを事前に見積もる」ということです。

何か新しいことに挑戦しようとする時、「失敗したらどうしよう」と足がすくんでしまうのは当然です。しかし、その正体を明確にしないからこそ、恐怖が膨らんでしまいます。

例えば、私が現在取り組んでいる「日商簿記1級」の資格勉強を例にとってみましょう。
もし一生懸命勉強したのに、試験に落ちてしまったらどうなるか?
答えはシンプルで、「資格取得のための教科書代や受験料(お金)」と、「勉強に費やした時間」が失われるだけです。命を取られるわけではありません。

ここで重要なのは、「その失うリソース(時間とお金)は、自分が許容できる範囲か?」と冷静に判断することです。
許容できるのであれば、「受かるかな…」と悶々とした気持ちを抱え続けるよりも、さっさとリソースを支払って「やってみる」方が、はるかに精神的にも有意義です。

これは、副業を始める時や、起業する時、あるいは好きな人に告白する時でも全く同じです。事前に「最悪でもこれだけのリソースを失うだけだ」と明確に見積もりを出した瞬間に、漠然とした不安は、ただの「計算可能なリスク」へと変わります。

「みんなと同じ」を疑え。思考停止が一番の不安を呼ぶ

ここで一つ、気をつけていただきたい落とし穴があります。それは「みんながそうしているから」という同調圧力による思考停止です。

「ある程度の年齢になったら結婚するものだ」「大人になったらマイホームを持つべきだ」といった世間の風潮があります。
自分自身でリソースを計算し、心から望んで選択するのであれば素晴らしいことです。しかし、「そういう雰囲気だから」と流されてしまうのは非常に危険です。

他人の価値観や世間のレールに無思考に乗っかるということは、「自分の人生のコントロール権を他人に明け渡すこと」と同じです。自分でコントロールできない要素が増えれば増えるほど、再び漠然とした不安があなたを襲うようになります。

だからこそ、世間の「当たり前」を一度疑い、自分の頭で「自分にとって何が大切か」を考えることが、不安から身を守る最大の盾になります。

まとめ:悩むくらいならリソースを払って「やってみる」人生を選ぶ

最後に、不安をクリアにし、行動に変えるためのステップをまとめます。

  1. 書き出す: 頭の中だけで悩まず、何が不安なのかを紙にすべて書き出す。
  2. 仕分ける: それが「自分で解消できる問題」か「どうにもならない問題」かを判断する。
  3. 見積もる: 自分で解消できる問題について、失敗した時に失うリソース(お金と時間)を計算する。
  4. 決断する: そのリソースを払ってでも、解消するべきかどうかを自分で決める。

このステップを踏むと、私の場合、「大部分のことは、リソースを払ってでもさっさと解消する(やってみる)べきだ」という結論に行き着くことがほとんどです。

もし失敗したとしても、事前に計算した分のリソースが減るだけで、あなたの人生が終わるわけではありません。むしろ、「やってみた」という経験が必ず残り、あなたの人生を豊かにしてくれます。

見えない不安に怯え続けるのは、今日で終わりにしましょう。
ノートとペンを用意して、あなたの不安を書き出し、リソースを計算してみてください。そして、世間の空気に流されず、自分の頭で決断し、一歩を踏み出す「やってみる」人生を、今日から一緒に始めてみませんか。

「聴くブログ」としても配信中

この記事の内容は、YouTubeチャンネルでも音声解説として公開しています。ブログでは書ききれなかった裏話や、私自身の率直な所感も交えてお話ししています。ラジオ感覚でぜひお楽しみください。

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